お気楽主婦の日常

東北の田舎に住む、ごく普通のおばちゃんの日常や思い出話

はじめは不純な動機でした

今週のお題「わたし○○部でした」

 

私、小中高と合唱部でした。

小学校で合唱部に入ったのは、音楽が好きだったこととテレビに出られるからでした。

実は人前でソロで歌ったり演奏するのは好きじゃなかったんですが。

 

幼稚園の年長から小2までピアノを、隣の市に引っ越した小3からエレクトーンに転向して、音楽の習い事を続けていたので音楽は好きで、小4の3学期から始まる部活をやるなら器楽部か合唱部を考えていました。

学校側が人数調整のために(?)行った入部試験ではどちらも合格したのですが、合唱部を選びました。

合唱部を選んだ理由…テレビに出られるから

というのは、NHK全国学校音楽コンクール(今でいうNコン)の県大会の様子が毎年テレビで放送されていたからなのでした。

背が高い方だったのでパートはアルトでした。

友達に「部活で歌っている歌、聞かせて」と言われて歌うと「お経みたいだね」と言われました。

アルトパートはあまり音が動かない曲が多かったですから。

そして、小学校の間は地区予選落ちで県大会に出られなかったので、テレビに出られませんでした。

 

中学校に上がって、ちょっとだけ速く走れるようになったので陸上部に入ったのですが、運動部ならではの厳しさについていけず、また、部活休みの日に友達と小学校の合唱部に訪問したときにOGとして訪問した時、「私がやりたかったのはやっぱり合唱だ」と思ったのち、「合唱部に戻りたい戻りたい」と人相が変わるぐらい(母親談)思い詰めてしまい陸上部をサボり続けるようになりました。

まあ、合宿の時にジャージを盗まれるとかのいじめもあったんですが。

 

結局、3か月ほどで陸上部をやめ合唱部に入りました。

 

合唱部に入ってからはのびのびと生き生きと表情も明るくなったと、数年後に母がその頃を思い出して話してくれました。

 

その後、Nコンには学校自体は県大会に進みましたが既定の30人枠に入れたのは3年生になったときだけで、テレビに出たのはそのとき1回だけでした。

 

高校に進学して「さて、部活はどうしよう?」と考えたときに、また思い悩む日々に戻るのが嫌で合唱部に入部しました。

人数が少なく、顧問の先生があまり指導に来ない(吹奏楽部と兼任のため)ので、のびのび好き放題やっていましたがNコンには出ませんでした。

というか、模試やら修学旅行やらとコンクールの日程が重なるため出場を断念せざるをえなかった…というのを言い訳にしておきましょうか。

 

高校生の時に、中学の合唱部の合宿日にOGが数人集まって夕食のカレーを作ってふるまうという、ある種伝統行事を私たちもやりました。

毎年の恒例行事で、「ついに私たちの番が回ってきたか」という感慨がありました。

そして、Nコン県大会の放送は毎年母校の出番を楽しみに見ていました。

 

あれから何十年も経って、母校の小学校には合唱部はなくなり、中学校や高校は合唱部はあるものの地元のNコンの放送日をチェックしなくなってしまいました。

全国大会の放送はチラチラ見るんですけど、家族にチャンネルを変えられてしまい、まともに見られたことはありません(悲)

 

 

…関係ないですが、「悲しい」という字、顔をくしゃくしゃにして泣いているように見えますね。